
扇菊会 ゆかた会
2025年3月18日
常磐津「双面」
2025年3月24日作詞 毛利元義(長府藩11代藩主) 補作 鹿都部眞顔(四方眞顔)
作曲川口お直(初代清元栄寿太夫)(初代清元延寿太夫の妻、お悦という説もあり)
初演 文政10年春 橋場の料亭「川口」
この曲は、狂歌を学んでいた、長府藩11代藩主毛利元義がその名前を改名し、判者に上ったお祝いに歌詞を書き、披露の席で、二世清元延寿太夫に語らせたという謂れのある曲です。
この曲名の「梅の春」は毛利元義の狂歌の前名「梅廼門香保留(うめのとかほる)」に由来しています。
しかし、毛利元義が詩を書いているのは「四方にめぐる→若布刈るてふ」までと言われています。
歌詞には、ご自身の領地である長州の「赤間が関」や、名産の「硯石」などが唄い込まれていますが、「春景色」から補作されていて、祝宴席の「川口」の場所に因み、橋場今戸、隅田川周辺や吉原など江戸の正月風景に移ってゆきます。
この補作について、また開曲年代についても諸説あり、未だ、判明されていないようです。
最後の「千秋楽は」からは、謡曲「高砂」の一部分取り入れて、お祝いの雰囲気を高めています。
長州から、突然、江戸の下町に飛ぶところが何とも言えず、この時代らしく、何人かの手を経ている感じがして、面白いです。
歌詞
〽︎四方にめぐる 扇巴や文車の ゆるしの色も昨日今日
心ばかりは春霞 引くも恥かし爪じるし
〽︎雪の梅の門ほんのりと 匂ふ朝日は赤間なる
硯のうみの青畳 もじがせき書かき初に
筆ぐさ生ふる浪間より若布刈るてふ
〽︎春景色 浮いて鴎の一ィ二ゥ三ィ四ォ
いつか東へ筑波根の かのもこのもを都鳥
いざ言問はん恵方さへ よろづ吉原 山谷掘
宝船こぐ初買に よい初夢を三ツ布団
〽︎弁天さんと添ひ節の 花の錦の飾り夜具
二十ばかりも積み重ね
〽︎蓬来山と祝ふなる 富士を背中に家がための
塩尻ながく居すわれば ほんに田舎も真柴焚く
橋場今戸の朝煙り つづくかまども賑おうて
〽︎太々神楽門礼者 梅が笠木も三囲りの
土手に囀る鳥追いは 三筋霞の連れ弾きや
〽︎君に逢ふ夜は たれ白髭の森越えて
待乳の山と庵崎の その鐘が渕 かねごとも
楽しい仲じゃいかいな 面白や
〽︎千秋楽は民をなで 万歳楽には命を延ぶ
首尾の松が枝竹町の渡し守る身も時を得て
目出度くここに隅田川 つきせぬ流れ清元と
栄え寿く梅が風 幾代の春や匂ふらん
幾代の春や匂ふらん』
作曲川口お直(初代清元栄寿太夫)(初代清元延寿太夫の妻、お悦という説もあり)
初演 文政10年春 橋場の料亭「川口」
この曲は、狂歌を学んでいた、長府藩11代藩主毛利元義がその名前を改名し、判者に上ったお祝いに歌詞を書き、披露の席で、二世清元延寿太夫に語らせたという謂れのある曲です。
この曲名の「梅の春」は毛利元義の狂歌の前名「梅廼門香保留(うめのとかほる)」に由来しています。
しかし、毛利元義が詩を書いているのは「四方にめぐる→若布刈るてふ」までと言われています。
歌詞には、ご自身の領地である長州の「赤間が関」や、名産の「硯石」などが唄い込まれていますが、「春景色」から補作されていて、祝宴席の「川口」の場所に因み、橋場今戸、隅田川周辺や吉原など江戸の正月風景に移ってゆきます。
この補作について、また開曲年代についても諸説あり、未だ、判明されていないようです。
最後の「千秋楽は」からは、謡曲「高砂」の一部分取り入れて、お祝いの雰囲気を高めています。
長州から、突然、江戸の下町に飛ぶところが何とも言えず、この時代らしく、何人かの手を経ている感じがして、面白いです。
歌詞
〽︎四方にめぐる 扇巴や文車の ゆるしの色も昨日今日
心ばかりは春霞 引くも恥かし爪じるし
〽︎雪の梅の門ほんのりと 匂ふ朝日は赤間なる
硯のうみの青畳 もじがせき書かき初に
筆ぐさ生ふる浪間より若布刈るてふ
〽︎春景色 浮いて鴎の一ィ二ゥ三ィ四ォ
いつか東へ筑波根の かのもこのもを都鳥
いざ言問はん恵方さへ よろづ吉原 山谷掘
宝船こぐ初買に よい初夢を三ツ布団
〽︎弁天さんと添ひ節の 花の錦の飾り夜具
二十ばかりも積み重ね
〽︎蓬来山と祝ふなる 富士を背中に家がための
塩尻ながく居すわれば ほんに田舎も真柴焚く
橋場今戸の朝煙り つづくかまども賑おうて
〽︎太々神楽門礼者 梅が笠木も三囲りの
土手に囀る鳥追いは 三筋霞の連れ弾きや
〽︎君に逢ふ夜は たれ白髭の森越えて
待乳の山と庵崎の その鐘が渕 かねごとも
楽しい仲じゃいかいな 面白や
〽︎千秋楽は民をなで 万歳楽には命を延ぶ
首尾の松が枝竹町の渡し守る身も時を得て
目出度くここに隅田川 つきせぬ流れ清元と
栄え寿く梅が風 幾代の春や匂ふらん
幾代の春や匂ふらん』
