坂東流日本舞踊とは

日本舞踊とは


古くは五穀豊壌の神々へ捧げる神楽から始まり、能、狂言
そして歌舞伎舞踊を母胎とした日本の伝統芸能のひとつです。

現代では、着物を着ることさえ特別なことになりつつありますが
着物を纏ったときの日本人特有の美しい立ち居振る舞い=「所作」を
自然と身につけ情景や物語を表現する楽しさを味わうことができるのが
日本舞踊の魅力です。

五大流派の坂東流とは

時代の流れとその変化により、日本舞踊は様々な形に変化をとげていきました。
明治以降、日本舞踊は美しい所作を身につけるための習い事となり、
多くの舞踊教室が誕生し舞踊家とその弟子たちがいずれかの流派に所属するようになりました。
そして200以上の流派に枝分かれし、その中でも歴史が古く、
規模が大きいものを「五大流派」と呼ばれています。
坂東流は五大流派の一つで、歌舞伎の名跡坂東三津五郎家が代々家元を継承しており、
歌舞伎色が強いため、ただ踊るというようも「演じる」ことを大切に扱うという特徴があります。

私にとって、日本舞踊とは

日本舞踊とは?

先ず、私自身のことをお話ししたいと思います。 私は日本舞踊、歌舞伎舞踊を専門としています。3歳の頃よりこの道に入り半世紀以上、職業としてから数十年が経ちます。が、未だ継続中!

 

日本舞踊は何故難しい?

それは400年以上の歴史のもとに、今日成立する芸能であるため、一人の生涯をかけても、学びきれるものではありません。
それ故に、人から人へ弛みない継承が必要なのでしょう。

 

踊りの師匠の始まり

我々の祖先は女狂言師といわれ、江戸時代には各座組や流派のもとで踊りの所作や振付などを役者に伝え、それを後世に継承するために保存する役割をしていました。その女狂言師が歌舞伎の世界だけではなく、街へ出て庶民のためにお稽古場を開いたのが、踊りの師匠の始まりと言われています。
 
ビデオや録音などもない時代にどのようにそれを果たしたのか、全てが人の記憶に委ねられていたのでしょう。そして、我々はその記憶の糸を辿るように、今も脈々とその流れを継承し、伝統芸を指導しています。その成り立ち故に、常に自分自身が学んでいくことが不可欠でしょう。
では、具体的にどのように学ぶのでしょうか?

専門家としてこの道を志した場合

その方法論は幾つもあるのでしょうが、ここでは私自身の学び方の一例を述べたいと思います。
①この芸能ができた原点に立ち返り、その成立ちを探ります。その時代の人の風俗、風習などに興味の幅を広げ、自分の想像や空想に頼ることなく、先人の教えを忠実に再現することを心掛けます。
 
②舞台全般においての知識として、大道具、小道具、衣裳、かつら、化粧などについても、様々な文献をもとに当時の様式を探ります。これらの殆どが「様式」という括りの中にあります。この様式を理解することも大切ですが、時代とともに変化していくことも知っておかなければなりません。 
 
③楽曲の歌詞の意味を紐解きます。英語の翻訳でもするかのように一言一句、古語辞典などを引いて理解を深めていきます。
 
④ 振りの意味を考えます。これは時代を経ている場合、解釈をするには、困難なことがありますが、踊りの振りを何回も何回も反復することにより、自ずと見えてくるものがあり、振りと楽曲が踊っている体に纏わりつくような、不思議な感覚、自分が全く違うものへと変化していく感覚を味わうようになります。
 
⑤古典として現存する歌舞伎の舞台を観ることは、大変効果的で興味深いことです。同じ演目を数回観ることにより、細部にわたり把握し、それが今日までにどのような変化を遂げたのかを探ることができます。 このような学びは実に楽しく、やってもやっても尽きない、果てしないところに魅力があるのかと思います。
 
ここまでは、専門家として、日本舞踊を学ぶ方法論です。

普通の習い事としての日本舞踊

日本舞踊に触れたいと思っている方が、この道へ入門する場合についてお話しします。
ここに「入門」というあまり聞き慣れない言葉が使われています。辞書を引くと、【①〈スル〉弟子入りすること。②学問・技芸などを学びはじめること。】とあります。弟子入りするということも感覚的にしっくりこない方が多いかと思います。現代において、実際にそのような認識でお稽古場を訪れる方は少ないのですが、お稽古を続けていくにつれ、なんとなく入門したのかな、弟子入りして自分がここにいるのかな、先輩がいて、また後輩が入ってくる、といったような人との繋がりを通じて、認識していくように思います。カルチャーやワークショップとは違った感じがしてくるのかと。

組織の一員として

ダンス学校や劇団、海外の芸術大学などで、授業やワークショップを行っています。入門した弟子とワークショップや大学の生徒では、弟子という点において、私は常に1対1の関係で、私の中では、生徒と弟子の違いは、実は、あまりないのです。が、指導方法には自ずと違いがあります。

指導方法の違いについて

①大学の授業や、ワークショップでは多数の生徒を指導しますので、カリキュラムが重要です。細部まで目が行き届くように、基本形を組み立てておきます。私は基本⑴、⑵とし、⑴では祝儀舞踊などに使われる能の要素に準じた動き「歩行」「くり足」「さし扇」など。⑵では、歌舞伎舞踊の独特の動き「六方」などの「型」を取り入れ、跳躍力などを養い、直接、身体へ直接アプローチした反復練習を行うなど、系統立てた稽古をします。その後に曲を使った実際の演目の稽古に入っていきます。 
 
②入門したお弟子さんの稽古はどうでしょう。こちらは、1対1の個人稽古になりますので、その方の実力に合わせた演目を選び、その曲の振りをたどりながら、基本的なところを抑えていきます。振りに組み込まれている基本的な動作、所作こそが踊ることの根本になります。もちろん、凡ゆる役の捉え方、情感の表現など大切なことは山ほどありますが、先ずはシンプルに、表現の領域にたどり着く手前の基本形を学ぶことが上達への近道かと思います。このようなことを踏まえて、その方にあったお稽古方法を見出していきます。以上、二通りの稽古方法について簡単にお話ししました。
 

踊ることへの想い

踊りの場合、体が動かなければ、心は動きません。体を動かさずに、深い心理描写や、心の機微を表現するには、よほどの鍛錬が必要なのです。私も含めて、まだまだ、体を駆使して踊ること、そして、行き詰まったときには、基本に戻ること、また、この踊りができた頃の原点に戻って考えることが肝要かと思います。
 
自らの体と言葉で、これから学ぼうとしている方に伝えていくことが、私の役割と思い、惜しみない情熱を注いでいます。 

私自身が一つの作品を振付をする場合について

それはここまでに述べたこととは、全く違った精神作用になります。それは、何にも捉われない解放的で自由な、体や心の束縛や制限を取り除き、想うがままの発想の展開に身を委ね、創っては壊し、壊しては創るといった、とどまるところを知らない世界に入っていきます。一つの作品を構築していくことは限りない喜びに満ちています。私にとって、純粋に踊るということに向き合える貴重で不可欠な時間なのです。この真逆な行為は双方を刺激し、新たな力を呼び起こします。新しいものに向かうとき、古典はあらゆる発想の宝庫なのです。

最後に

私の愛する日本の伝統美を限りなく忠実に、また、限りない可能性を秘めたものとして、後世に伝えていくことが私の使命です。  日本舞踊とは、いえ、踊りとは、言葉を介入させない、感情表現の極致と心得ています。