
清元 義太夫「吉野山」
2025年3月28日
Brooklyn + Japan Festival 出演動画
2025年12月16日質問:年齢が何をダンスにもたらすのか?
坂東扇菊: はい、わかりました。我々の世界では、定年がないんですね。で、まあ、死ぬまで踊れれば、踊り続けるというのが普通のこと(考え)であって。
それはどうしてなのかと言いますと、最初は基本から入って、だんだんに熟練してきて、それが人に見せられるような芸になってきます。そのあとに何が生まれるか。やはりその人生の色々な経験だったり、それからその人の感情の、感性の高まりだったり、それが「多岐に及んでくる」ほど、踊りへの深まりが増すという風に考えられています。
質問:「芸が枯れる」とはどのようなことでしょうか?
坂東扇菊: 確かに「芸が枯れる」と我々は申し上げているんですけども、じゃあ「芸が枯れる」ってどういうことなのかなと思いますと、つまり、ただただ技術的なことが上達したというだけではなくて、その人の「人となり」とか色々なものが踊りの中に加味されて、それが技術とともに、まあ「発酵する」って変ですけども、「醸し出す」もの。
(それは)年齢とともに変わっていくんですね、変化していく。なので、姿かたちが美しい時の踊り、それと、それを失ってきて年取ってきてから見せる見せ方を、作為的に変えていくわけではないですけど、それが自然に変わっていく。そしてそれが見る人の心を打つ。美しい、若い、綺麗、そういうものがなくなった時に、それに代わるものがあるということが、日本の踊り(の特徴です)。まあ、ほかの国の踊りはわかりませんけれども、我々の踊りの中にはそう言われていることが(あります)。
私も確かに、私の師匠の芸にはもう敵わないという確信があります。私もまだ「芸が枯れる」ところまでいっていなくて、もうひたすら動いてしまう。
質問:「芸は人なり」とは?
坂東扇菊: そういうこと(芸が枯れるということ)の表現の仕方。これがもう本当に手をこうするだけでも、ここに何かすごくオーラだったり、またメッセージ性だったり、そういうものがたくさん込められて踊れるようになってくるというのが、やはり「芸が枯れる」っていうことなんですね。
それは人それぞれまた思いも違うし、何を良しとするかも人それぞれ違うんですけれども。この「古典」というものは、基礎があってのことなので。そこを外して、そこを逸脱しながら勝手な自分流の個性だったり、そういうものを強調していくだけの芸は、どこまでいっても到達することなく、枯れることもないんですね。
もう幼い頃から先人のやってきた、それを忠実に学び、それを忠実に表現し、その先に見えてくるのが、ほんのちょっとの個性。我々は99パーセント先人の教え・基本に則って、1パーセントの個性に賭けろと言われるんですけども、それが古典たる所以ではないかなと今私は思っています。
それが老いることにより、その到達度が増してくるということの現れかなという風に、私は理解しています。この芸の到達点は、きっと果てしなく、私が生きている間に到達し得ないものなのかもしれません。でもそれを日々やっていくことに喜びだったり、人に伝えようとすることの何か重みだったり、あとは歴史的なこの芸の重みだったりを自分に背負わせて表現ということに賭けていくっていうこと。
それが「老いる」ということで得られる、芸の到達の道かなと思って、まだ道半ばですけど思っています。



