喜撰、解説の続きです。
踊るにも観るにも、いろいろ解っていた方が楽しめるのでは?
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〽︎我庵は芝居の辰巳常盤町しかも浮世を離れ里
これは清元、長唄「喜撰」始まりのオキと言われている部分、置歌です。
これは『六歌仙容彩』を初演した2代目中村芝翫丈が、初演の中村座から見て辰巳方向にある深川常磐町に住んでいたことから、それに擬えて詠んでいます。
実在の喜撰法師は宇治という離れ里に隠棲していましたが、芝居上の喜撰法師は、岡場所(非公認の遊郭)のある常磐町という離れ里に住んでいて、つまり、色の世界に出家していたのですね。
〽︎我が庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり
こちらはみなさんご存知の実在の喜撰法師の詠んだ歌です。
では喜撰法師はどのような方だったのでしょうか?
平安初期に京の宇治山に住み、厳しい修行の果てに仙人になったといわれている喜撰法師ですが、謎が多く、伝説的な人物とされています。
後世、在原業平や、小野小町、大友黒主などとともに、六歌仙の一人となったのですが、残されている歌は百人一首にある一種のみ。
さて、歌舞伎や舞踊での場面は、京で、桜の枝を持った喜撰法師が登場し、茶汲み女のお梶との色恋を掛けた踊りになります。
その部分は、次回にまた。